悪名十八番 大映/86分★★ 1968年(昭43)1月13日公開<カラー・ワイド> |
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脚本 | 依田義賢 | 監督 | 森一生 | |||
撮影 | 今井ひろし | 音楽 | 鏑木創 | |||
出演-勝新太郎・田宮二郎・安田道代・森光子・金田龍之介・西村晃・藤田まこと・芦屋小雁・鳳啓助・京唄子・水原浩一 |
「悪名」シリーズ第14作。「眠狂四郎女地獄」と併映。 お話は前作の続きで、執行猶予が付いた勝新が兄、金田龍之介の世話になる。田宮は病床に伏している設定。 藤田まことが5年前に公開された「悪名市場」「悪名波止場」の役どころと同じ設定で出演している。両作ともに同じ森一生監督作品なので呼ばれたのだろう。 しかし半年前に公開された前作「悪名一番」に出ていた森光子も出演している。勝新と藤田と森の3シヨットの画面なので、最初見たときは森も前回の役を継いで出てきたものだと思ってしまう。が、まったく別人の役。ちょっと、どうしたものか。森は1920年生まれでこの時48歳。実年齢11歳年下の37歳の勝新とねんごろになる設定は、ミスキャストではと思えてしまう。 勝新の兄貴の役で金田龍之介が相撲姿で頑張っているのだが、ラストの安田道代が森と一緒に去っていくのはよく分からない。田宮二郎が後半から活躍する筋立てを見ても、「悪名」シリーズはそろそろマンネリの境地に陥っているのではないかと思う。 そしてこの作品が田宮のシリーズ最後の出演となった。 その顛末をWikiより転載する。 --------------------------------------------------------------------- 1968年6月29日公開の大映『不信のとき』(今井正監督、有吉佐和子原作)の宣伝ポスター(原案)において、主役(130シーン中94シーンに出演)の田宮の名が4番手扱いになっていた。その序列は、若尾文子(大映の看板女優)がアタマ、2番目が加賀まりこ(松竹専属の女優、田宮より年下でありキャリアも後輩)、トメ(最後)が岡田茉莉子(東宝や松竹で活躍後、当時は独立系の映画を中心に出演)で、田宮はトメ前となっていた。 いくつもの主演シリーズを持っていた田宮は誰が見ても大映現代劇のトップ男優であり、彼にとってこの序列は譲れない大問題であった。 田宮は撮影所長に抗議したが、「この作品は女性映画として売りたいからこうなった。私の首にかけてもこの序列を変えることはない」と断られ、その場で副社長の永田秀雅(永田雅一の息子)に電話。 すると「役者ごときが注文をつけることではない」と叱責され再び却下されたことから フィクサーとさえ言われる永田雅一に対抗するためか、右翼の許斐氏利を伴い、永田雅一と直談判する。 すると「主役のお前がアタマに書かれるのが当たり前や」となった。しかし「首をかけてもと撮影所長に言われたのだから、俳優の私が辞める(か所長が辞める)しかない」 と田宮が言うに及び、雅一は「おい、思い上がるのもいい加減にしろ。お前は横綱・大関クラスの役者だと思っているんだろうが、まだ三役クラスの役者だ。人事に口を出すな」と憤慨。 結果的に刷り直したポスターの序列は希望通り田宮がトップとなったが、雅一は契約を残したまま、田宮を解雇した。 これにより、ただでさえスター不足で経営難の大映はますます屋台骨が傾くことになった。 記者会見では記者から「田宮を辞めさせて興行的に困らないか」との声が社長に飛んだ。 しかし永田は「失礼な、それほどの大物じゃない」と反論、さらに五社協定を持ち出し、他社の映画にもテレビドラマにも田宮を使わないように通達した。 --------------------------------------------------------------------------------- 1968年・昭和43年の世相 01/09 マラソンの円谷幸吉選手自殺。 帰ってきたヨッパライ(フォーク・クルセダーズ) テレビ NHK大河ドラマ 竜馬がゆく 書籍ベストセラー どくとるマンボウ青春記(北杜夫) @神々の深き欲望(今村プロ) 洋画@俺たちに明日はない(米) |
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