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炎上
大映/85分/★★★★
1958年(昭33)8月19日公開<モノクロ>
脚本 和田夏十
長谷部慶治
監督 市川崑
撮影 宮川一夫 音楽 黛敏郎
共演-市川雷蔵・中村鴈治郎・仲代達矢・信欣三・北林谷栄・浜村純・新珠三千代・中村玉緒
あらすじ(yahoo 映画)

1950年に起こった金閣寺放火事件を題材に、三島由紀夫が書いた小説「金閣寺」の映画化作品。

雷蔵27歳の主演映画。その俳優人生の中で大きな転機となった作品。

映画館に足を運んだ観客は、雷蔵の演技に度肝を抜かれたのではないだろうか。

市川崑の才気爆発、宮川一夫の見事な耽美的な撮影技法。第一級の芸術作品。


<以下Wikipediaより転載編集>
製作当時、金閣寺の住職からクレームが入り京都の仏教界も反対し、今後大映には時代劇の撮影は許可しないとの通達も来る中、プロデュサー藤井浩明の熱心な説得により、タイトルを変えること、寺の名前も「金閣寺」としないことでやっと了承を得た。

主役は当初、川口浩で新聞発表もしたが社長の永田雅一から突然「あかん」、「とにかく浩でなくやれ」と理由も分らずに反対された。困りはてた市川崑監督の脳裡にふと、『新・平家物語』で若き日の清盛を演じた市川雷蔵の素晴らしさが思い浮び、直観的に雷蔵を起用することにした
時代劇の二枚目スターが暗いどもりの徒弟僧の役を受けるかも危うく、現代劇ということもあり、会社内ではそれまでの「美剣士」イメージが壊れてしまうという反対意見や、スタッフからも雷蔵では務まらないのではないかという意見もあった。特に雷蔵の大映入りに尽力した撮影所長酒井箴は大反対であった。しかし市川監督が直接電話で雷蔵本人に依頼すると、意外にも雷蔵はすぐ承諾し「やりまひょか」と即答だった

『新・平家物語』で演技に開眼していた雷蔵は、新しい役に挑戦したいという意欲に燃えていた。雷蔵自身は周囲が思うほど二枚目スター意識はなく、研究熱心な努力家で、どもりの学生という翳のある人物を演じることへの抵抗感はなかった
後援会など周囲の反対もあったが雷蔵の意志は固く、雷蔵は会社を説得するのに1年を費やし、最後まで反対だった撮影所長酒井箴を押し切る形で徒弟僧の役をやることとなった。 美しく化粧をした端正な顔と美声の「美剣士」が、素顔で演じ顔を歪めてどもりを発するという対極的な役柄への挑戦であった
『炎上』公開の前月7月に、雷蔵は後援会の会誌で以下のように語っている

私が『炎上』で丸坊主になってまであの主人公の宗教学生をあえてやるという気になったのはもとより、三島由紀夫氏の原作『金閣寺』の内容、市川崑監督をはじめとする一流スタッフの顔ぶれにほれ込んだことも大きな原因ですが、それと同時に私はこの作品を契機として俳優市川雷蔵を大成させる一つの跳躍台としたかったからにほかありません。 — 市川雷蔵「雷蔵、雷蔵を語る」[
市川監督は、雷蔵の時代劇スター独特の台詞回しや身のこなしの技術を駆逐させつつ、雷蔵の演技を現代劇で活かすため、相手役として売り出し中の若手の新劇俳優・仲代達矢を対照的にぶつけることにした。原作で「強度の内飜足」となっている動作の演技は、仲代達矢自身が考えたものだという。仲代がテストでやった歩き方を見て、市川監督は一発でOKを出した。 そして2人がアパートの一室で対峙し、仲代が罵詈雑言を浴びせ、怒鳴り合う最も難しいシーンからあえて初日の撮影に入り、仲代の演技からの刺激で雷蔵の新たな面を引き出すことにした。雷蔵は新劇の演技に動ずることなく、生身の無手勝流で初めての現代劇で役になりきっていた

五番町(花街)の遊女の役は、たまたま俳優部にスッピンで歩いていた18歳の中村玉緒が市川崑の目に留まり、「あれだ」と抜擢されたという話と、雷蔵からの推薦があったかもしれないという話の両方ある。 当初は、歌舞伎の名門成駒屋のお嬢さんに女郎役をやらせるなどとんでもない、という大反対意見が会社からあったが、玉緒本人はあっさりと依頼を承諾してしまった。市川監督は、まだ女優になりたてのお嬢さまの玉緒の「ぎこちなさ」を逆に何とか活かそうとし、実際にどう動けばいいのかは、市川自らが玉緒に立ち振る舞いや仕草をやって見せて演技指導したという

撮影は市川監督にとって初めての京都撮影所と京都ロケで行われた。スケジュールが詰まっていたため、市川監督は冒頭からラストまでの絵コンテを描いてスタッフに見せた。カメラマンは宮川一夫であった。そもそも市川監督が日活から大映に移籍した理由の一つには、モノクロームの芸術的映像美に定評の或る宮川と一緒に仕事をしたいという思いもあったからだった

市川監督は『金閣寺』映画化製作にあたって会社に、「モノクロ」にすることと、画面サイズを「シネスコ」にすることの2つの要求を出していた。人物間の心理的リアリズムに重きを置き、主人公の孤独な内面をシュールな方法で表現する演出を駆使する印象的なショットが、「モノクロ」と「シネスコ」により効果的になることを市川監督は狙っていた
会社としてはカラーで金閣寺の「金」を描いてもらいたいという意向があり三ヶ月ほど論争したが、市川崑としては「火が赤くメラメラと燃えたりすると安っぽくなる」と思い、それよりも「白黒の格調」を出したい意図があった。シネスコでの撮影は宮川にとって初で、横長の画面の空間をどう生かすか悩み、撮影中はずっとカメラのファインダーを覗いていて、市川監督は「覗かせてもらうのが大変だった」という。最初の頃は意見が合わず喧嘩をすることもあったが、やがて気持ちが通い合うようになった。人物の単独ショットを中央よりも少し横にずらすなど、市川監督は宮川と一緒に検討しながら撮影し、主人公と母親が対話する夜のシーンなどに「深い情感」が出るように工夫された

『炎上』は市川崑監督にとって傑作映画の一つとなると共に、雷蔵もその演技力を高く評価され、第32回キネマ旬報主演男優賞、第9回ブルーリボン賞主演男優賞などを受賞し、雷蔵が俳優として大きく成長しトップスターになる転機となる作品となった。ロンドン映画祭、ベニス国際映画祭にも出品され]、イタリアの映画誌『シネマ・ヌオボ』最優秀男優賞も受賞した

『炎上』について雷蔵は、「賞をいただいた嬉しさもさることながら、この映画をつくるに当たって傾けた演技以前のひたむきな情熱が、ついにここに花咲き実を結んだという意味で、何にも増しての感激なのです」と語っている

映画会社のスター・システムの原則を度外視し、時代劇の貴公子イメージの俳優を劣等感に悩む貧困と吃音の青年役に配するという異例の映画であったが、結果として雷蔵の代表作となり、三島由紀夫の取材ノートをヒントに再構成された脚本でリアリズムに仕立てた点も良い結果になり成功の要素となった。監督の市川崑も、「雷ちゃんと撮った中では『炎上』が一番好きです」と語っている

映画評論家佐藤忠男は、原作小説を基礎にしながらも「平明なリアリズム」として脚本を練り直して描かれた『炎上』の意味を、時代劇の端正なスターが正反対の役柄を演じて成功したことと当時の敗戦後の時代状況と照らし合わせながら高評価している

本来貴公子のような青年であり得る者こそが劣等感にうちひしがれていることこそ敗戦後の日本の厳しい時代精神であったと改めて認識させる力がそこにあった。これは三島由紀夫の原作に対するひとつのすぐれた解釈であったと言える。 — 佐藤忠男「日本映画史2 1941-1959」
市川雷蔵は『炎上』の演技が評価され、男優賞など数々の賞も受賞した。雷蔵はさらに俳優としての力量を発揮し進歩させたいと考え、いたずらに興行的安全を狙った娯楽物だけではなくて「演技のやり甲斐のある芸術性を買われる作品」に出演する心構えが強固になった

『炎上』主演以来、雷蔵はプロデューサーの藤井浩明とも懇意となり、新しい映画や演劇について熱く語り、三島が1961年(昭和36年)に発表した小説『獣の戯れ』の映画化を企画し作品にも出演することを熱望した。しかし、雷蔵自ら演出を川島雄三監督に依頼する計画をしていた矢先に、川島雄三が突然亡くなってしまった

その後、三島の小説『剣』が1963年(昭和38年)10月に発表されるやいなや、映画化を自ら企画し主演もした。藤井浩明は作風的に映画化には向かないと考え難色を示したが、雷蔵は『剣』の映画化を熱望した。雷蔵は1964年(昭和39年)の年明けすぐに撮影準備に入り、1月4日、三島も参加している早朝午前4時からの学習院大学剣道部の寒稽古を見学し三島と歓談した
『剣』は原作発表からわずか5か月の3月14日に映画公開された。その時期の雷蔵は『眠狂四郎』や『忍びの者』の人気シリーズで活躍し大映のスターとして多忙を極めていたが、明けても暮れても同じパターンの映画よりも、自分自身が本当にやりたい作品でリフレッシュしたかったのではないかと藤井は語っている

三島は映画『剣』での雷蔵の演技にも感銘し、主人公の国分次郎の肝心な要素である「或るはかなさ」を十全に表現していた雷蔵を評価した。雷蔵は『炎上』では「美」から疎外された人物、『剣』では対極的な、「美」そのものの人物を好演したが、どちらも「反時代的な青年」、印象的な「微笑」を見せるということでは共通し(『金閣寺』では「人生に参与」することを諦めてから溝口は「微笑」し出す)、それが三島文学に登場する「〈美〉を象徴する人物」の特徴であった
『炎上』の溝口では雷蔵を「この人以上の適り役はない」と語った三島だが、『剣』の国分次郎でも雷蔵は三島にとって適役であった。なお、三島が自作の『憂国』を映画化して上映する時には、雷蔵の『眠狂四郎』か、あるいは勝新太郎の『座頭市』との2本立てにすることを望んだという

市川監督が特に気に入り印象に残った映像は、主人公が新京極の路地を歩く場面であった。主人公の孤独が見事に表現され、俳優の演技を超えた雷蔵自身の内面から滲み出るものも醸し出されていたと語っている。その雷蔵の顔を見て、「この人は役の実体を掴んでいるな、役柄だけじゃなく、役を通して何か自分というものを表出しようとしているな」と市川監督は感じた。

『炎上』で、雷ちゃんが新京極の路地を一人でとぼとぼ歩くシーンがありますけど、あそこはいいシーンですよね。野良犬の後ろをついて雑踏を彷徨う姿が実に孤独で、主人公の深い哀しみというのがよく出ています。僕は雷ちゃんの生い立ちについて詳しいことは知りませんけど、あの人が自分の中で抱えて生きてきたもの、何かそういうのが出てたのと違いますか。それは演技というのとは違うところで、何か自分というものを表現しようとしてたというのかな。僕は、あの新京極を歩くところの後ろ姿、おそらくあれが雷ちゃんの本質だと思います。とても好きです。 — 市川崑「『炎上』と雷ちゃん」




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