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御用牙
東宝配給/108分★★★
1972年(昭47)12月30日公開<カラー・ワイド>
脚本 小池一夫 監督 三隅研次
撮影 牧浦地志 音楽 村井邦彦
企画-若山富三郎
出演-勝新太郎・西村晃・朝丘雪路・田村高廣・渥美マリ・草野大悟・石橋蓮司・蟹江敬三・山内明・藤原鎌足
あらすじ(MovieWalker)
週刊“ヤング・コミック”に1970年10月から連載された小池一雄・原作、神田たけ志・画の同名劇画の映画化。製作は勝プロで東宝配給。この作品から「勝プロダクション」のロゴが金色の立体文字に変更となっている。

映画業界は1960年代後半には低迷、この70年代には完全に斜陽化していた。大映は前年の71年に倒産。どの映画会社も、予算が取れなくなったのかショボイ作品が目立った。日活は、ちょうど1年前の1971年11月からロマンポルノ路線に変更となっていた。

一方1970年前後から次々と劇画雑誌が創刊され、いわゆる劇画ブームとなっていた。
1967年創刊の「週刊漫画アクション」と「ヤングコミック」、1968年創刊の「ビッグコミック」、「プレイコミック」などの雑誌には、さいとう・たかをや佐藤まさあき、川崎のぼるや、南波健二、小池一夫、永島慎二や白土三平、つげ義春、新世代の梶原一騎や宮谷一彦、バロン吉元、池上遼一、上村一夫らが執筆し人気を博した。

労働者階級の若者がメインターゲットの読者であった劇画は、当時盛んであった学生運動の熱狂と同期し、社会的なブームを巻き起こすことになる。貸本劇画誌を前身として1964年に創刊された「ガロ」(青林堂)は全共闘世代の大学生の愛読誌であった。1970年(昭和45年)3月31日によど号ハイジャック事件を起こした赤軍派グループの宣言「われわれは明日のジョーである」は当時の劇画の若者に対する影響力を物語っている。

エロとグロが満載の劇画を原作としたこの映画、50年後の今現在観ると、時代錯誤というか、勝新ほどの大スターがよく主演したなと思う。
当時の映画スター、石原裕次郎・三船敏郎・中村錦之助・高倉健・渡哲也など、誰が自らの陰茎を叩いて鍛え、女を後ろから犯しながら自白を攻めるシーンを演じられただろう。
その意味では、勝新太郎という役者は節操か無いというか、新しきもの好きと言うか、清濁併せ呑む人間だったのだろう。

さらに朝丘雪路ほどの高名な女優が後背位シーンを演じているのも驚き、渥美マリとの網での上下セックスは、お笑いだった。アオカン、パイパン等など、突き抜けた面白さが満載。

脚本は劇画の原作者、小池一夫自身の執筆なので、作劇術的にはとまどう筋運びが多い。

トップシーンで筆頭与力の西村晃に反抗して悪徳業者との癒着を指摘、さぞ清廉な男かと思ったら、次のシーンでは自分の陰茎を鍛えているのだから、原作を知らない人間にとっては訳わからない人物像ではある。
ラストも、貧しい少女と弟の親父を安楽死させてやるという、取ってつけたような本筋とは関係ないプロットで映画は終わっていく。

企画には兄の若山富三郎の名がクレジットされている。若山はこの年1月に公開された同じ小池一夫原作「子連れ狼」に主演して大ヒットしている。弟にも劇画調の映画の代表作を作りたいという兄弟愛を感じる。

1972年の東宝正月映画。併映は若山富三郎主演「「子連れ狼 親の心子の心」(監督斎藤武市)。どちらも勝プロ製作作品。勝新はスタープロダクションの中でもこの時、天下一だっただろう。

以下、映画化の顛末をWikiより転載。

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1971年当時、テレビ局から「テレビ映画の主演でやってもらえないか」と話を持ち込まれた勝新太郎が、兄の若山富三郎に話したところ「あれ(子連れ狼)をどうしてもやりたいんだ。原作者の了解もとってある」と言われ、「それならオレがプロデュースし、兄ちゃんが主演で映画にすればいい」と映画化が決まった。最初は渡哲也が主演をやる予定だったが急病で出来なくなり、勝プロで権利を買い、若山がやることになったといわれる。 

原作の劇画はすでに世に知れたヒット作だった。この原作漫画を気に入った若山は「ぜひ主演で映画製作を」と、模造刀を引っさげて作者の小池一夫宅にアポイントなしで突然訪れ、「この役をやらせて欲しい」と頼み込んできた。あまりに急な要請に小池が逡巡していると、若山は「俺が太っているからためらってるんだろう? じゃあこれを見てくれ」と小池宅の庭に降り、刀を左手に持ち替え、目の前でトンボを切り(前方宙返り)、素早く抜刀・納刀をして見せた。その動きを見て感心した小池は「どうぞお願いします」と契約書も何も交わさないままこれを承諾したという。小池は「制作スタッフ」扱いで、撮影現場にも立ち会っている。

大映所属の勝の映画に、東映の看板スターの一人である若山が主演するということでまず問題になった。東映は1971年8月に岡田茂が社長に就任して「ブロック・ブッキングと、スターの専属強化」を打ち出したところだったからである。
瀕死の大映を救うため自主製作映画ということで東映として黙認することにし、「俳優生活二十年目の初めてのわがまま」ということで若山の貸し出しを認めた。しかし大映京都撮影所で撮影に入ったところで、大映はその日その日の手形に追われ製作費の資金繰りがつかなくなった。
この結果、製作者と監督は大映所属で主演は東映所属。大映京都撮影所のセットをレンタルで使い、撮り上がった映画の配給は東宝を通じて公開するという"五社の垣根"を完全に取り払った、1972年の日本映画の在り方を皮肉にも予告する格好になった。

勝プロと東宝が提携した『座頭市シリーズ』は邦画斜陽の中でもヒットを続けており、1作目の『子連れ狼 子を貸し腕貸しつかまつる』の制作時に、東宝と松竹の2社が正月興行での配給を持ちかけてきた。東宝からは藤本真澄専務が直接交渉に赴き、本シリーズの配給は東宝に決定、『座頭市御用旅』との2本立て興行によって大ヒットした。




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