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人斬り
大映/139分★★
1969年(昭44)8月9日公開<カラー・ワイド>
脚本 橋本忍 監督 三隅研次
撮影 森田富士郎 音楽 佐藤勝
出演-勝新太郎・仲代達矢・石原裕次郎・三島由紀夫・倍賞美津子・仲谷昇・下元勉・山本圭・賀原夏子・山内明・田中邦衛
あらすじ(MovieWalker)
幕末の混乱期にその名を轟かせた岡田以蔵の物語。司馬遼太郎の小説「岡田以蔵」を参考としている。1969年度(4月から12月)の興行ベストテン第4位に入る大ヒットとなった。

主役の岡田に勝新、竜馬に石原裕次郎、土佐藩の首領に仲代達矢、幕末のテロリストして勇名を馳せた田中新兵衛に三島由紀夫の異色キャスト。

フジテレビジョンと勝プロの共同制作で大映配給。
撮影の森田富士郎や美術の西岡善信ら大映スタッフが参加。同じスタッフでも監督が変わるとこうも画面は変わるのかと驚く。

三島が良い。プライドの高い自己陶酔型の三島由紀夫という人間性がよく出ている。特に突然に切腹をするシーンが凄い。筋肉隆々の肉体を、これでもかと見せつける。約一年後の市川駐屯地での切腹を予感していたような迫力。

この三島の前には、首筋のたるんだ勝新や裕次郎は影か薄い。悪役仲代に裏切られ、泣き叫ぶ勝新は情けない。ラストは打ち首獄門となる。実際の岡田も仲間を売って自白したようだが、この軟弱な人物像は勝新には似合わない。

また上映時間も2時間超えと冗長、長過ぎる。佐藤勝の音楽も内容に合っているとは言い難く、豪華キャストの大作だが失敗作となった。

以下Wikiの「勝新太郎と三島由紀夫」「エピソード」より転載
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三島由紀夫が田中新兵衛に起用されたきっかけは勝プロ社長でもある勝新太郎の依頼であったが、
三島が承諾したことを大映企画部長の藤井浩明から聞いた勝は非常に喜び、すぐに会いたいと三島との面談を希望した。三島のマネージャー代わりの藤井が三島と一緒に大映京都撮影所に向かい京都駅に到着すると、勝は2人を待ち受けていて、自分の車で都ホテルまで送ってくれた。

そして勝は、明朝に撮影所で会う時間を告げて、その時に三島にカセットテープを渡した。
そのテープには、三島が言う台詞と、勝の言う台詞の掛け合いの両方が吹き込まれてあった。
さらにそのテープには、ここはこう言った方がいい、というようなアドバイスも各所に入っていて、素人の三島が困らないようにしてあった。

三島がしばしば、勝に随分世話になった、面倒を見てもらったと書いているのは、こうした背景があったからであった。
勝と三島が直接からむ場面は、田中新兵衛が飲み屋「おたき」に初登場するシーンのほか、酒に溺れる以蔵を新兵衛が慰めるシーンもあるが、三島は思わず以蔵ではなく勝を慰めるかのような気分になり、演技中にもらい泣きしそうになったという。

三島の撮影初日の勝の細かい気づかいにより俳優演技に自信がついたことを、三島は「得意のかいぎゃく」で語り、初めて「役になりきる心境と喜び」を味わった楽しさを勝との共演で得られたとしている。
<三島・談>
朝から勝さんとからむ場面を演じているんだが、勝さんほどいいお師匠さんはありませんね。実に親切に教えてくれる。これまでのぼくは“俳優”としてどんな“素材”なのか見当がつかなかった。
自分自身がわからなければ、どの面を生かせばいいのかもわからない。ところが勝さんは半日で、ぼくが俳優としてすばらしい資質をもっていることを知らせてくれた。
— 三島由紀夫「三島由紀夫映画を語る/『人斬り』撮影中をたずねて

三島はこれまで『からっ風野郎』、『憂国』、『人斬り』と3本、映画俳優として出演したが、『人斬り』で初めて「爽快な後味」や映画の面白さを実感として味わったが、それは映画について教えてくれた「よい先生」の勝の親切のおかげだとしている。
三島を懇切丁寧に指導する勝の姿を見ていた山本圭も、撮影現場が和気藹々となったのは勝がいたからでもあるとし、「勝さんが何も考えていないようで実は物凄い細かい人です」と語っている。

三島の切腹場面の撮影中にも三島が外に出た際に、「三島さん、居合いをやってよ!」と明るく勝が声をかけて来て、三島が本気で居合いの型を披露すると、その上手さに勝は感心しつつも、「でも、あんまり強そうじゃないな」、「手を切らなきゃいいけどな」とからかい気味に言って、三島をリラックスさせていたという。

なお、勝は『人斬り』撮影中に、雑誌『平凡パンチ』の三島特集において、編集担当者から三島の悪口をぜひ言ってほしいと電話でコメントを求められ、
「ぼくはあの人といま映画でご一緒してるんだけど、あの人は何ていうのかなー、そう、趣味人というイメージだね。ないものねだりをする人。そしてその結果それを獲得してゆく人。いままでの三島さんの人生ってのは、それだったんじゃないの」と答えている。


撮影が行われた大映京都撮影所と東京での『癩王のテラス』や『椿説弓張月』の稽古や打ち合わせ、
「楯の会」の活動とで往復に忙しかった三島由紀夫だが、ある時、大阪行きの飛行機内で三島と乗り合わせた仲代達矢が、「作家なのにどうしてボディビルをしているんですか?」と尋ねると、三島は「僕は死ぬときに切腹するんだ」、「切腹してさ、脂身が出ると嫌だろう」と答えたので、仲代は冗談の一つだと思って聞いていたという。

日々の撮影が終わると共演者同士で祇園などに飲みに行ったが、山本圭はその時の三島の様子について、
「三島さんはほとんどお酒を飲まないんですが、話をしている時、瞬きをしないんですよ。それで目の前で僕が話を聞いてるとね、だんだんこっちの目もつられちゃう」と語っている。
ちなみに、山本扮する皆川が以蔵のいる小屋を訪ねて自分も毒酒で死んでしまう場面は、和歌山県の先端の湖畔に掘立小屋が建てられ撮影された。死体となった山本の喉仏がどうしても動くため、その場面はフィルムを半分に切って山本の方の画が固定されているという。

映画撮影のクランクアップ後、五社英雄監督は三島から切腹場面と立ち回りシーンのスチール写真を100枚ほど欲しいと言われていたため、京都撮影所を発つ際に三島に手渡した。
そして帰りの新幹線に五社と三島と勝と仲代が一緒に乗り、三島以外の3人は名古屋で遊ぶために途中下車していった。
3人がホームに出た後、再び三島に挨拶しようと三島の座席の窓に行くと、1人になった三島が鞄からスチール写真をこっそり取り出して、「何ともいえない顔でニッコリして見ていた」という。
やがて3人の視線に気づいた三島は、一瞬こそばゆいような恥じらいを見せ、少年のように笑って頭に手をやった。

東京に帰った後、五社に会った三島は、「いやあ、新幹線の中でアレを見られたのは、
「君ねえ、自分のナルシシズムの原点みたいなものを、全く目の前で見られたような感じで、あんな恥ずかしい思いをしたことはないよ」と笑っていたという。



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