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不知火検校
大映/91分★★★★
1960年(昭35)9月1日公開<白黒・ワイド>
脚本 犬塚稔 監督 森一生
撮影 相坂操一 音楽 斎藤一郎
原作-宇野信夫
出演-勝新太郎・中村玉緒・近藤美恵子・須賀不二夫・安部徹・荒木忍・丹羽又三郎
あらすじ(MovieWalker)

★勝新の役者人生のターニングポイントになった傑作映画。

23歳の時に大映京都撮影所に入って以来、社長永田雅一は勝を可愛がり、白塗りの二枚目として市川雷蔵に次ぐ役者として熱心に主要な役を与え続けたが、思うように人気が出なかった。
客があまりに入らないので映画館の館主達からは「いい加減に勝を主役にした映画を作るのはやめてくれ」と苦情が絶えなかったほど。しかし、1960年の本作で野心的な悪僧を演じ好評を得、勝新は本領を発揮しはじめる。

原作となった宇野信夫作・演出の「不知火検校」は、1960年2月歌舞伎座で、十七代中村勘三郎が二役を演じて評判を呼んだ四幕十四場の芝居である。宇野は明治37年生まれ、1933年(昭8)築地座で上演された「ひと夜」で劇作家としてデビューしている。
初演当時のパンフレットに「徹頭徹尾悪い人間を書いてみたいというのは、長い間の念願であった」と記しているように、生まれついての盲目、しかも悪知恵が働く主人公が、按摩として身を立てる一方で、泥棒、詐欺、強請、姦淫、殺人と、ありとあらゆる悪事を働き、ついには盲人の最高位である検校にまで上りつめるというピカレスクな物語である。
戯曲の終盤で、悪事が露見して捕らわれ、悪事を働く度胸もなく、おもしろくもない世の中をせせこましく生きているヤジ馬を嘲笑し、悪態をつく。悪行の限りをつくした主人公は最後まで反省も良心の呵責もないのである。

脚色を依頼された犬塚稔は、原作の戯曲を読んで「あまりに理不尽な話なので、私には手に負えない」と言って脚色を辞退したという。しかし一方で「こんな人物を時代劇の主人公に扱うということも甚だ珍しいことであり、そういった意味でも一寸変った素材なので、書く方もいささかか意慾を覚え」て結局は脚本を書き上げ、森一生監督の手で映画化された。
勝は先輩の長谷川一夫の真似と思しき白塗りの二枚目を居心地悪そうに演じていて、確かに後年の勝新らしいヴァイタリティ溢れる個性に乏しい。しかし本作では、悪事を尽くしのし上がる主人公を人間くさい魅力とアクの強い個性で演じ、この一作でようやく役者として認められるようになる。
映画そのものも、森一生の数ある作品の中でも会心の出来栄えとなり、配収も予想以上で、大映系列の小屋主から「勝新太郎の映画はあたらない」と言われてきた汚名を払拭した。
実に『花の白虎隊』でデビューしてから6年目、72本目の作品であった。

「森一生 映画旅」(1989年草思社刊)の森監督のインタビューによると
まあ「不知火検校」はもともと歌舞伎のもので(中略)、勝ちゃんのお父さんは歌舞伎の下座の三味線をやってましたし、勝ちゃん自身もその歌舞伎で上演したものを観てたし、その雰囲気が好きだったんですかな。性に合ったというか、それでやったわけですけど、そら、当時としては大変でしたよ。それまでの白塗りとは、まるで色合いが違いますからね。盲の芝居ですから」

-これを勝新太郎にやらせるというアイデアは、どこから出てきたのでしょうか。
「舞台を見たらしいんです、永田社長だったか誰かが、歌舞伎の舞台を。それを観て、これは面白いちゅうんで企画したと社長は言うし、当時の撮影所長に言わせると、自分で観て企画に乗せたと言うし(笑)、作った結果、面白いシャシンになったもんやから、「俺が」「俺が」ちゅうのが出てきて、本当は誰が企画したのか、ぼくは知らんです(笑)。ま、珍しいですよね、大映にしちゃ(笑)
ぼくは脚本をもらって、原作の宇野信夫さんとは打ち合わせをしませんから、宇野さんがどういう気持で書いたのかも聞かないし、全然会ってないし、もう脚本もらっただけで、あれだけで完成したもんとして受け取りました。で、うれしかったですね。やっぱし監督ちゅうものには、総体的に、自分のもやもやしたもんがありますよ。この脚本はそのもやもやを晴らしとるな、と。だから、「これはしめた」という感じがありました。(中略)」


クランクインの前、勝は盲学校に通い、盲人たちの動き方、喋り方、独特の間と表情を、丹念に観察して、自分の物にしたという。そして撮影がはじまると、毎日、床屋に行って頭を剃って貰った

悪役の大家、安部徹をして「あいつは何を考えているか分からねぇ」と言わしめるほどの極悪非道な人生を歩む一種「ピカレクス・ロマン」の傑作。後に妻となった中村玉緒との按摩のシーンの猥雑さは息を呑む。

杉の市「てめえら肝っ玉がちいせえから、おれがやってるようなことをやりたくても出来ねえだろう。たまに楽しむといったら祭りぐらいが関の山で、挙句の果てはジジイになりババァになり、糞小便の世話されて死ぬだけだ、この大馬鹿野郎。」

この台詞はラストシーン用に書かれたが最終的には別のシーンに移行させられた。公開された映画のラストは、過去に犯した罪がバレてしまった杉の市が、己の罪を一切認めぬまま群集の罵声をあびて「馬鹿野郎!馬鹿野郎!」とつぶやきながら引きずられていく。
いくら悪人映画と言えども観客に向かって「糞小便にまみれて死ね」はNGってことだろう。

唯一この作品の欠点は、ラストに突然現れる奉行だろう。伏線がほとんど無く唐突感は否めない。

昭和三十五年五月、大阪の新歌舞伎座で『不知火検校』が再演された時、宇野はパンフレットに、こう記している。「悪い人間というものは、(略)見るから愛敬のある人が、びっくりするような悪い人間であることがある。そういう人は、平気の平左で悪い事をして、知らん顔をしている、びっくりするような悪事を働いて、ニコニコしたり、どこを風が吹くか、というような顔をしている―そんな人間を、前々から書いてみたいと思っていた」

「不知火検校」は今現代でも松本幸四郎主演で新橋演舞場で公演が続いている。



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