続 次郎長富士 大映/108分/★★★ 1960年(昭35)6月1日公開<カラー・ワイド> |
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脚本 | 八尋不二 | 監督 | 森一生 | |||
撮影 | 牧田行正 | 音楽 | 小川寛興 | |||
出演-長谷川一夫・勝新太郎・市川雷蔵・中村玉緒・本郷功次郎・根上淳・近藤美恵子・楠トシエ |
前年1959年6月に公開された「次郎長富士」の続編。雷蔵と玉緒以外はほぼ同じキャストとなっている。 雷蔵は2シーンのみの出演だが、勝新は出番も多く見せ場も多い。 出世作となった「不知火検校」はこの年、9月の公開。それまでの白塗り剣士的なイメージから人間臭い、少し三枚目のキャラクターが、この映画で演ずる森の石松にも出てきている。 中村玉緒との酒席のシーンが出色。二人の息がピッタリで心地よい。勝新とは翌年に結婚している。 作品としては前作よりはまとまっている。カメラマンがパン好きなのか、横に降るカットが多く少々見づらい。殺陣シーンではクレーンカットも多様しているが今ひとつ、宮川一夫のような自由自在のカメラワークからは程遠い。 根上淳が盲目の刺客役で出ている。ロウソクにまとわりつく蛾を羽音のみで真っ二つに切り刻む。座頭市を思い出させるシーンがある。 以下wIkiの根上淳より転載 東京都中野区出身。父方の祖父はオーストリア人の音楽家。杉並商業学校を経て1941年に法政大学経済学部に進む。1943年、学徒出陣で東部六二部隊に入隊。甲種幹部候補生に志願し、厳しい訓練を受けて特別操縦見習士官として飛行訓練に入る。しかし、この頃から胸を悪くし、入院中に終戦を迎える。戦友のほとんどが特攻隊ですでに戦死していたという。 戦後は、群馬県太田市に疎開していた家族のもとに戻り、復学した法政大学に太田から4、5時間かけて通った。卒業後は、進駐軍の通訳として働くが、黒人兵とケンカして1年で退職する。 米の配給票が必要で、それを入手するには東京で就職するしかなく、「つなぎ」の仕事として東宝第2期ニューフェイスに応募するも、試験の時間に間に合わず断念。続いて1947年に大映演技研究所の3期生募集に応募、見事合格する。しかし、本来は俳優志望ではなかったため、その頃はあとで別の職を探すつもりだったという。 しばらくエキストラ出演が続くも、1949年『母三人』(中代富士男監督)で本格デビュー。1950年の『二十歳前後』で主役を演じてから、役に恵まれるようになり、特に1951年の『牝犬』(木村恵吾監督)のバンドマン役で注目され、根上の出世作となった。その後は大映の若手スターとして活躍。 1956年には渡米してMGM映画『八月十五夜の茶屋』にも出演している。帰国時の模様は同年の大映オールスター映画『スタジオは大騒ぎ』の中でも紹介されている。1967年に大映を退社、その頃には映画出演作品は100本を越えていた。 以降は活躍の場をテレビドラマに移し、NET『白い巨塔』(里見脩二役)や、降板した塚本信夫の後任としてTBS『帰ってきたウルトラマン』(伊吹竜隊長役)に出演するなど、存在感のあるバイプレーヤーとして多くの作品に出演した。なお、それまでのウルトラシリーズでは隊員服は隊長含めて全員同じだったものが「階級の違いを表すものをつけてほしい」という根上の希望で隊員服の胸にある太いV字のラインの上に細いラインが足されることになった。初登場時に搭乗していた戦闘機、マットアロー2号も機首と垂直尾翼に黄色のラインが2本入った専用機である。 1965年、根上の大ファンであった歌手のペギー葉山と結婚し1968年には長男が誕生、結婚後も夫婦で本を出版し、書道の展覧会に二人で出展するなど芸能界一のおしどり夫婦として知られていた。また根上が『帰ってきたウルトラマン』、妻のペギーが『ウルトラマンタロウ』(ウルトラの母役)と夫婦それぞれウルトラシリーズの作品に出演している。
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